こんにちは。あるいは今晩は。太田です。
子供の頃…僕は本気で空を飛べると思っていました。そして僕は傘を3つ広げて家の屋根から飛んでみた。
結果は無残でした…
足を捻挫し親には、こっぴどく怒られ近所では「バカ息子」と評された(苦笑)
しかし僕の心は清々しかったのを今でも覚えています。なぜなら、僕の中で結果は「失敗」ではなかったから。
傘では空を飛べない
という結果を知ることができたからです。
成功者が必ず持っている資質が「やり抜く術」、これは、成功か失敗かを問うものではありません。
成功であれ失敗であれ、ひとつの結果を得るまで“やり続ける技術”です。そして、もし失敗したのなら、それを単なるひとつのプロセス(過程)と捉え、成功するまで歩みを止めない。何があっても、どんな状況に陥っても気分や、やる気に関係なく勝手に手が動く…それが「やり抜く技術」です。
あなたは、この技術を手に入れる覚悟はありますか?この技術を手にすると、今までの経験や肩書や学歴や才能に関係なく誰もが“止まらない自分”になってしまいます。
それはつまり!
もう言い訳のできない人生を歩むということです。
「今は忙しい」「明日からにしよう」「時間がない、お金が無い」そんなつまらない言い訳は、もう通用しません。
それはある意味、あなたにとって酷な人生を歩むことになるかも知れません。言い訳をして、途中でやめてしまった方が人生は、はるかに楽だからです。
それに、行動し続けるということは、僕の子供の頃のように夢中になり過ぎてケガをすることもあるかも知れない(笑)けど、これだけは覚えておいてください。
どんな分野においても「成功」とは、この技術の先にしかありません。この「やり抜く」ということなしに成し遂げられた偉業は歴史上、ひとつもありません。つまり、この技術はあなたを成功へ導くためには必須のスキルというわけです。
さあ、この先を読むか読まないかはあなたの自由です。
今のまま、そこそこの人生で満足という方はここで読むのをやめた方がいいでしょう。しかし、80才になっても少年のようにキラキラとした生き方をしたいのならこの先をぜひ読んで欲しいと思います。
人生を賭す仕事に出会っているだろうか?
ほとんどの人は人生のなかに安定を求めるが、私は人生に安定を求めることを健全だとは思わない。安定した人生を送る普通の人によって成し遂げられた偉業はない。70才ともなれば、ほとんどの人は引退しネットサーフィンに明け暮れうとうとしながら過ごす毎日に満足しているのが普通だろう。しかし私の旅はまだ続いている。いまいましい市場の魅力から未だに離れられないでいる。一ヶ月1000枚にも及ぶ取引量でトレードを続けている間、私は生き生きとしていられるし、思考力が衰えることはない。私には他の人生など想像も出来ないし、いま以上に幸せな生き方はない。
ラリー・ウイリアムズ
これは僕が尊敬している投機家ラリーウィリアムズ氏のサイトから引用させて頂いた一文です。僕は一瞬で惚れました。それは彼に惚れたのではなく、彼の生き方に強烈に惹かれたのです。
僕も彼のように生涯を賭すようなものに出会いたい。そして最後、死ぬ時には、これ以上幸せな生き方はなかったと思う人生を送りたいと思いました。(ちなみにラリーウィリアムズはまだ死んでいません笑)
そして僕の場合、それが、たまたまトレードでした。いま僕は心の底からトレードが楽しくて仕方ありません。トレードを愛してさえいます。(きっと妻よりも笑)
僕の思考の90%はトレードで出来ており、トレードの完全攻略が見えた時には死んでもいいとさえ思っています。
こんな生き方や考え方は、もしかしたら人間としてはダメな方の部類に入ると思います。「気持ち悪い」と思う人さえいるかも知れない。けど、僕は人にどう思われようが、まったく気にならないし、この想いがブレることもありません。
※このページはあなたにトレードを教えるサイトではありません。
あなたにとって、生涯を賭す仕事を見つけて頂くためのサイトです。僕がトレードに出会ったように、あなたにも人生を賭すものに出会って頂きたいと思います。
そして、ラリーはもう一つ大事なことを教えてくれました。こっち方が大切かも知れません。それは…
人生とは、自分がやった分だけのことしか返ってこない。
とってもシンプルで世界一わかりやすい成功法則だと僕は思う。「自分がやっただけのことしか」…それ以上でも、それ以下でもない。報酬はいつも、自分がどれだけやったかに寸分の狂いもなく比例します。
どんな分野においても、「ちょっとやっただけ」や「三日坊主」では何も得られない。とりあえず、これだと決めたものを全力でやってみる。そして、成功にしろ失敗にしろ結果が出るまでやり抜くだけ。そうして、はじめて自分に合っているのか、合っていないのか?その分野が自分が好きか嫌いか?が見えてくるのだと思います。そして、そんな中からしか「生涯を賭すもの」には出会えません。
おそらく今、あなたは自分に何が合っているのか?自分の天職は何のか?生涯を賭すものは何のか?を知らないと思います。
それは目の前のことを「やり抜いていない」からです。やり抜いたのなら、少なからず今、目の前にあるものが天職かどうかぐらいは分かるはず。
やり抜いてもいないのに「これは俺には向いてない」「この才能はない」というのは単なる逃げでしかありません。そして、そういう人は何をやっても、おそらく同じことを言うでしょう。そういう人を僕は何人もみてきたから。
何でもいいと思います。今の仕事でもいいし、やりかけの副業でもいい、月謝だけを払っているスポーツジムでもいい。先月買ったダイエット商品でもいいし、今は埃が、かぶってしまった教材や書籍でもいい。
何でもいいので、目の前のことを一度最後までやってみて欲しい。そして、そこまでやって、はじめて、それが自分に合うか合わないかが見えてきます。
才能では成功はできない。
「成功するものと、そうでないものの違いは何か?」というテーマについては、昔から多くの学者や専門家と言われる人達が研究してきました。もっとも初期の研究では、以下の3つが成功の要因だと考えられていました。
1・非凡な才能
2・並外れた熱意
3・努力を継続する力
今もこの考えは一部の思い込みの激しい人の間では根強かったりもしますが、その後、DNA(遺伝子)などの研究が進み、この説は完全に否定されることになります。
実は人間の才能には、さほど大差はないということが明らかになったのです。
(ただし、体形や容姿を才能というのなら、そこに差はある)
つまり、成功か、そうじゃないかを決定づける要素の中の(1・非凡な才能)は完全に間違いだと証明されたのです。それどころか、「才能」という言葉さえも、もはや意味のないことであり、「才能のある人」という言葉はあっても、実際にそういった人は存在しません。
じゃあ、何が成功を決定付けるのかというと、現代科学では、「熱意をもって、そのことをやり続けること」がもっとも大切だという結論に達した。
「なんだそれ?」と言うかもしれませんが、例えばアメリカの研究チームがある小学校でこんな実験を行ったのです。それは算数の授業でした。
算数と言えば学校の勉強の中でも“いわゆる”「才能」や「能力」で決まるものだと思われています。ところが、そうではなかったのです。
この実験では次に様なことをしました。
新学期の4月の頃…先生が黒板に問題を書いて分かった人は手を挙げるようにと促した。すると、すぐに「分かった」といって手を挙げる生徒たちがいて、その生徒達をAグループとしました。そして、なかなか呑み込みが悪く、手を挙げれなかった生徒をBグループとしました。
一年後…
この学年の終わりの成績表を見たところ、なんと、算数の成績上位者のほとんどがBグループの子達だったのです。つまり、取っ掛かりの段階で「呑み込みが早い」「呑み込みが遅い」ということは確かにあります。仮にそれを「才能」と呼ぶのであれば、才能がある子の方が、実は最終的にはいい成績は残せないということが分かったののです。

では、もう一つ例を出します。
これは僕自身が経験した話です。僕は昔から野球が好きで大人いなってからも遊びで野球をやっていますが、それとは別に少年野球の指導のお手伝いもしています。
これはスポーツ全般に言えることですが野球は特に、「呑み込みが早い」「呑み込みが遅い」…いわゆる才能と言われるものが顕著に表れます。
呑み込みの早い子は、1のことを教えると2も3もできます。しかし、呑み込みの遅い子は1教えても0.5しか出来ません。数カ月の短いスパンで見るとこの差は歴然だが、面白いのはここからです。
呑み込みの早い子は1教えただけで2も3もできるから教わったことだけをやればそれだけで満足してしまう。
ところが、呑み込みの悪い子は1教えても0.5しか出来ないので、呑み込みの早い子に追いつこうとして彼らより10倍努力しようとします。すると、0.5×10=5で呑み込みの早い子を追い抜いてしまう場合があるのです。
そして凄いのは、呑み込みの悪い子は、この時点で、これがあらゆることへのスタンダードになるということです。
つまり、「人より10倍練習をする」という「才能」みたいなものが何事に関しても備わってしまうのです。
すると、野球以外で呑み込みの早いものを見つけると1教えると2も3も出来るわけで、なおかつ、そこに「人より10倍練習をする」という、いわゆる「才能」が備わっているので3×10となり爆発的にうまくなる。
野球は確かに呑み込みが遅かったかも知れない。けど、そこで「人より10倍努力する」という才能が備わったおかげで、例えば学校の勉強や体育の運動で呑み込みの早いものが見つかれば尋常じゃない成績を残せる。
そういった子を僕は何人も見てきました。
マラソンの地域大会で新記録を達成したり、まったく勉強のできなかった子が有名私立の中学校へ合格したり…そういったドラマのようなことが起きるから僕はこの野球教室というボランティアがやめられないのです(笑)
僕の会員さんでも、まったく同じことが言えます。
僕の会員さんの中でビジネスにしろ、トレードにしろ月収で100万円を超える方は、
いずれにしても、「呑み込みの遅い人」いわゆる才能がないと思われていた人達です。
投資を教えていても…
「なんで、そうなるの!!!!!」
「違うだろーーー!!違うだろっ!!」
と、何度も怒鳴りたくなった人が結果として成功しています(笑)
要は、結果を左右するのは才能ではなく「やり抜く技術」があるかどうか?ということだったのです。
「才能」という言葉を使いたがるナマケモノ達
では、なぜ「才能」という言葉があるのでしょうか。それは、「才能という言葉を使うと楽だから」です。
例えば「年収3億円、グループ会社10社、若き20代のやり手社長」という人がいたとします。こういう人物を目の当たりにすると、僕たちは「凄い才能だ」と言います。
人間には「比較する」という特性があるため、こういった人物と自分を無意識のうちに比較してしまいます。
すると、なぜこの人物に出来て、自分に出来ないかの答えを探すようになる。その時、「才能」で片付けるのが一番ラクなのです。
本当は物凄い努力があったということが分かっていても、それを認めてしまうと自分も成功しようと思った時、そうしなければいけないからです。
「才能がある」
「天賦の才を持っている」
「あんな才能は誰にもない」
並外れた実績を残す人を見た時、僕たちは彼らを神化してそう片づけてしまう。それは、そうした方が楽だから…そうすれば、やすやすと現状に甘んじていられるからです。
だけど、歴史に名を残した偉人に“いわゆる”天才など、一人もいません。
これまで、多くの人は、これら偉人の言葉から目を逸らしてきました。うすうす努力が結果を左右すると気付いていた人達も最後には次のように片づけていたのではないだろうか。
「彼らには努力する“才能”があったんだなぁ」
と…。どうしても才能で片付けたいらしい。けど、もう目を逸らさないでください。才能なんて持っている人はいません。これまで使われてきた「才能」という言葉の正体は努力できないナマケモノが逃げるために使う言葉でしかないということです。
オリンピックで金メダルを取った選手。
世界長者番付に名を連ねる大富豪たち。
各スポーツで偉業を成し遂げる選手。
若くして成功した起業家…などなど。
つまり、あなたが羨ましいと思う人たちも、スタート地点はあなたと全く同じだったということです。まずは、そのことをしっかり受け止めることが第一歩だと思います。
そして成功か、そうじゃないか…その分岐点は次の一文に集約されることを忘れてはなりません。
ひとつのことを、ひたすら考え、ありとあらゆるものを活用する。そして、常に自分の内面に目を向け、精神状態・思考をそのことに向けさせる。
これが「やり抜く」ということで、これには技術が必要となります。そして、この技術なしでは、絶対に成功も何かを成し遂げることも出来ないと思っています。
やり抜くための具体的な方法とは?
では、一体どうしたら「やり抜く技術」は身に着くのだろうか?まず昔から言われてきた間違った格言のようなものを正す必要があります。
「明日からではなく今日から始めよう」と日本では指導されてきました。それに間違いはないのですが、この教えには欠点があります。
それは「今日“必死”に頑張ってしまう」ということ。成功を焦るあまりなのか、それとも成功へのメカニズムを知らないのか…「今日から頑張ろう」と指導すると「今日だけ必死になる」人があまりにも多いように思います。
しかし、人間は基本的に怠け者なので「必死」にやったことは長続きしません。よくて一ヶ月、たいていは一週間ほどで力尽きてしまう。これでは、どんな分野においても結果は出せません。
一方、どんな分野においても結果の出す人や一流の人は…当たり前のことばかりしています。彼らは知っているのです。今日“だけ”やっても意味がないと。最低でも一年やらないと意味がないってことを。だから最低でも一年は“やり続けられること”しか今日もやらない。ここ、物凄く大事。大事なので復唱しておこう。
最低でも一年はやり続けられることしか今日もやらない。
そう考えると今日からの行動は変わってきませんか?
例えばダイエット。毎日ジムへ行くとか10キロ走るとか、いきなり気合を入れるのはいいですが、それが一年も継続できるのだろうか。
きっと人間は大したことは出来ない。大したことは出来ないけど、それも一年続ければ大きな結果になります。
ここが、あなたとの最大の違いだと思います。あなたは、何か目標を決めたり、何かをはじめようと思った時、何か“特別なこと”でもはじめるかの如く意気込んでいた。
けど、成功者は大したことはしていないんです。
けど、それを当たり前のレベルでできるようにしていたのです。
例えば僕はここ最近の教材には必ずと言っていいほど「瞑想」を取り上げています。瞑想は、偉大なる成功者達が全員と言っていいほど行っていた儀式だからです。
だけど、それにしたって「やり抜く技術」が無ければ長続きはしません。やり続ける技術を持っていない人は、いきなり30分の瞑想から入ってしまいます。だけど、どうだろう…一般的にいきなり30分の瞑想は初心者にはかなりキツイ。キツイことをやっているので、長続きしない…これが結果の出ない人のメカニズムです。
やり続ける技術を持っている人は、それだと長続きしないと知っているのでまずは「一分瞑想」からはじめます。
「これなら明日も出来そうだ」
と思うことがポイントであり明日は2分、明後日は3分と無理のない程度に少しづつ伸ばしていく。三ヵ月もした頃には、すっかり瞑想は習慣化し、毎日お風呂に入るのと同じような感覚になる。
このように結果を出す人というのは、当たり前のことばかりしているのです。この話でよく例に出されるのが元大リーガーのイチロー選手です。イチロー選手がなぜ世界一のバッターになることが出来たのかというと、彼の名言にもあるように、彼は小学校の頃から毎日、小さなことを積み重ねてきた。その小さなことというのは、「バッティングセンター通い」
彼は小学校の時から365日、毎日バッティングセンターに通っていたそうです。彼の中で、「これぐらいなら毎日できる」と思えるレベルがそうだったのでしょう。
しかし、もし仮に指導者が「毎日3時間はバットを振りなさい」と指導していたら…偉大な世界一の選手は生まれなかったかも知れません。なぜなら、「毎日3時間」では、さすがのイチロー選手でも継続できなかったと思うから。