コラム

度々論争になる「おごり奢られ」について。

X(旧twitter)で度々論争になる、
「おごり奢られ論争」

今回はある起業家が友達の連れてきた港区女性に「奢られて当たり前」という態度を取られて頭にきたというつぶやきが話題になっていました。これは港区に限らず、飲みの席ではあるあるですよね笑。

僕は、この論争にある程度、答えがあると思ってます。まず奢ることに、ごちゃごちゃ文句を言う人。これは、ほぼ間違いなくお金に余裕がない人です。

実は、港区にこういう人多いです。港区で毎晩飲んでいるだから、きっとお金持ちなんでしょ!と思うかも知れない。確かにそういう人が多いのは間違いない。

でも逆にお金がなくて見栄だけで飲んでいる人も同じくらい多いのが港区です。こういう人が「奢られて当たり前」という態度でいる港区女子に遭遇すると、とりあえずは奢るんだけど、後からSNSでごちゃごちゃ文句を言う。

まあ、港区に限らず、どの街でもあることですが、港区女子は特に「奢られて当たり前」と思っている人が多いので度々論争になるのでしょう。

僕個人としての意見は、最近は奢られることも奢ることもなくなったけど、やっぱりお酒の席に女性が来たら奢りますね。相手がどんな女性でも無条件で奢ります。理由なんてありません。理屈じゃなく、それが当たり前のことだと思ってます。

親が子供にご飯を食べさせるのは当たり前。それと同じぐらいのレベルで男が飯代を出すのは当たり前だと思ってます。

こうした記事を書くと必ず言ってくるのが、「奢られて当たり前って態度の奴に、なぜ奢らないといけないんだ!」というご意見。

だから、それが「余裕の無さ」なんだって笑。そもそも、その思考は「相手に何かを期待してるから」そういった言葉が出てくるんだと思います。

「奢ってやったんだから感謝ぐらいしろ」
「ありがとうぐらい言って欲しい」

などなど。こうした問題も僕が前々から言ってる、「嫌われる勇気」という本に書かれているアドラー心理学へ通じるんです。

「課題の分離」といって、相手の課題へ踏み込まない、これがアドラー心理学の肝の部分。奢られて感謝するかしないか、奢られて当たり前と思うか思わないか、これは全部、相手の課題なんです。あなたには、どうすることもできない。

あなたはあなたの課題だけに取り組めばいい、というのが、アドラー心理学の教えです。

今回の場合でいうと、あなたの課題は「奢るか奢らないか」だけです。それはあなたの課題なのであなたが判断すればいい。

でも、その先の感謝するか、当たり前だと思うかは相手の課題であって、あなたの課題ではない。だから、そこには何も期待しないってことです。いや、期待しちゃいけないんです。

まあ、そもそもご飯を奢ったぐらいで感謝を求めているような人は恋愛だけじゃなく何をやっても上手くいかなと思います。

ABOUT ME
takayukiota
2007年にサラリーマンを辞め独立。ネットビジネス、トレードを行いながら今日まで生き抜いてきました。これからはスマートビジネス、つまり組織に頼らず個人で活躍する時代が来ると思いますので、このブログが少しでも役立てば嬉しいです!