以前に美空ひばりさんの特集番組を見ました。めちゃくちゃ、しびれましたね。
病におかされていた彼女は、もうステージに立つのもやっとの状態。そんな中、伝説の「不死鳥コンサート」が行われたわけですが、最後にステージの中央を100メートルぐらい歩くシーンがあるんです。
だけど、彼女の体はもう限界…100メートルどころか1歩も歩けない状態。それでも彼女は笑顔で何とか歩き切るわけです。
このシーンは僕も前々から知っていて、物凄い責任感の強い人だなーと思っていた。せっかく来てくれたファンの方達のために…そんな想いから最後まで歩いたんだと。
だけど、この番組を見て、もしかしたら、それは違うんじゃないかなと。あれは責任感じゃなくて、ただ単に彼女の“ワガママ”だったんじゃないかなと。
あの時…
スタッフをはじめ、親族も周りの人も、彼女がステージに立つのを止めたそうです。スタッフは、ステージよりも、彼女の命を最優先していたんだと思います。当たり前ですよね。
だけど、美空さんにとっては違った。ステージに立てないのなら生きている意味がない、死んでもいい、そう思っていたんじゃないかな、きっと。
もちろんファンのために…という気持ちもあったとは思うんです。だけど、それよりも、もっと単純に彼女は…歌が、ステージが好きだからそこにいた。ってことなんじゃないかな。
周りのことを考えずに好きなことをやっている人を見ると「あいつはワガママだ」と僕達は言います。だけど、人は(特に日本人は)もっと、ワガママでいいと思うんです。
周りの意見や世間の目を気にせず、ワガママに好きなことを思いっきりやる。歌やステージは美空さんにとって、そんな感じだったと思うんです。
それは「人生そのもの」
それを失うのは死んだも同然。
多くの人は「何のために生きてるか?」
その答えが見つからないまま死んでいく。
だけど、彼女は…
歌うため、ステージに立つために生きていた。だから死ぬかも知れないからと言ってステージに立たないのは、じゃあ、何のために生きてるの?って彼女の中ではそうなる。そんなふうに僕は感じました。
人生の成功者って「何のために生きてるか?」これを見つけた人だと僕は思うんです。そして、そういう人は歴史に名を刻みます。
人生の目的がハッキリしているから、最後の1分1秒まで、それをやっていられる。ある意味、ワガママに生きていられる。
だけど現実問題…
そうはいかない。誰もがそんな生き方をしたい。けど、日々の生活があり、家族がいて、子供を育てる責任が僕達にはあります。人生の大半をそっちに取られます。
そんな日々の中で人生の意味や目的なんて見つけられっこない。だから僕は早くベーシックインカム(※)にならないかなーと思っている。
ベーシックインカムになると、必ず出てくる議題が勤労意欲です。何もしないでお金が貰えるなら、誰も働かなくなるよと。
けど僕はそうじゃないと思う。多くの人が責任から解放されると本当に好きなことを仕事にするようになる。そして、その仕事は美空ひばりさんのように「生きている意味」になる。
ベーシックインカムの最大の意義はここにあると思うんです。けど、正直、僕達が生きている間にベーシックインカムが日本に導入されることはないでしょう。
そこで、だったら自分でベーシックインカムを作ってみようと考える。それが知恵だと思います。やり方はあるはずです。